
ふとした瞬間、胸の奥がギュッとなることがある。
会社からの帰り道、信号待ちでふと見上げたビル群の窓明かり。
あれも、きっと誰かが夜遅くまで必死に残業している証拠なんだろうな、と思うと、自分のことのように息苦しくなる。
40代。
気づけば、そんな年齢になっていた。
肩の荷は重くなるばかりで、上司からは数字を詰められ、部下には気を遣い、家に帰れば家族の前で「大丈夫なフリ」をする。誰にも弱音を吐けないまま、ただただ今日という日をやり過ごす毎日。
そんなふうにして、僕の心は少しずつ摩耗していった。
そんな僕が、あるとき藁にもすがる思いで始めたのが「手紙を書くこと」だった。
きっかけは、キャンプの帰りにたまたま見つけた古い万年筆。実家の引き出しの奥で、何年も眠っていたものだ。
インクが乾いて掠れたペン先を、恐る恐る紙の上に滑らせる。デジタルな画面越しには絶対に感じられない、紙のザラつき、インクが滲む匂い。
宛先は、いつも迷惑をかけてばかりいる妻にした。 画面越しのLINEじゃ伝えられない言葉、いや、言葉にするのも照れくさくて飲み込んでいた「ごめん」や「ありがとう」を、ただ不器用な文字で書き連ねていく。
不思議だった。
ペンを動かしているうちに、あんなに騒がしかった頭の中が、少しずつ静かになっていくのを感じた。
「あぁ、自分、本当はこんなふうに思っていたんだ」とか、「あの時、自分も少し頑張りすぎていたのかもな」なんて、まるで他人の悩みを聞くみたいに、自分の心を客観的に見つめ直せている自分がいた。
カウンセリングの現場でもよく言うけれど、心の中に溜まったモヤモヤは、外に出さないと腐ってしまう。 キーボードを叩くのではなく、自分の手で文字を綴る。その「ゆっくりとした時間」そのものが、何よりのメンタルケアになるんだと思う。
手紙を書き終えたとき、便箋に残ったのはインクの跡と、自分の体温だけじゃない。 張り詰めていた心が、ふっとほどけるような感覚。あれは、焚き火の炎を見つめている時に近いかもしれない。
大切な誰かを想ってペンを握ることは、自分自身を抱きしめてあげることでもある。
もし、今夜、あなたがどうしようもなく疲れてしまったら。 スマホを置いて、引き出しの奥に眠っているペンを探してみてほしい。
便箋なんてなくていい。裏紙でもいい。 誰かに届かなくてもいいから、いま感じているありのままの自分を、手書きの文字に吐き出してみてほしいんだ。
僕が使っているのは、この[万年筆]
もう何年も使い込んでいるけれど、このペン先が紙を捉える感触が、僕の心をいつも「正しい場所」に戻してくれる気がする。
綺麗な文章なんて書かなくていい。 ただ、自分の心に正直な文字を。
今夜、あなたの心が、少しだけ軽くなることを願っています。