どうも。
生きている限り、一生勉強だと思っているけーたです。
仕事をきっぱりと辞めてから、縛られるものがなくなり随分と生きやすくなりました。
一日、一日をダラダラと過ごすことは僕には向いていないのかもしれません。
思い返せば、父親がそんなタイプの人間でした。
休みの日でも居間で寝転がっているのは夜だけで、常に畑仕事や田んぼでの農作業。
家のペンキ塗りなど毎日忙しそうに過ごしていました。
親や周りの人の影響ってかなり大きいと思うんですよね。
周りを見渡してみればよくわかると思います。
例えば、本が好きな人のところには本好きな友達が集まるし、
甘いものが好きな人のところには、甘いものがいっぱいあるし。
ゲームが好きな人のところには、ゲーム好きが集まる。
面白いことに、人間はその環境に一度足を踏み入れるとなかなか抜け出せないみたいですね。これは、特に年齢を重ねるごとに顕著に現れます。
とかいいながら、僕も30代で後戻りも利く年齢じゃないのかもしれないけれど、
職業訓練に向けて、たまーに試験勉強頑張っています。
説明会で例題をもらったのですが、出題科目は中学校レベルの「国語」「数学」ですね。もともと、文章を読んだりするのは好きなので国語は完ぺきだろうと鼻を高々としていたのですが、漢字が書けない。。。。
僕の故郷にいる漢字の権威「諸橋轍次先生」に頭が上がりません。
そうそう、余談ですが新札の1000円札を諸橋先生にしてもらいたいという気持ちもありましたが、残念ながら選出されませんでした。残念・・・
諸橋 轍次(もろはし てつじ、1883年6月4日 - 1982年12月8日)は、漢字の研究者で大著『大漢和辞典』や『広漢和辞典』(ともに大修館書店刊)の編者。文学博士。東京文理科大学名誉教授。都留短期大学および都留文科大学の(四年制大学としての)初代学長。本人によると直江兼続の子孫である。号は止軒[1]。
同郷の社会学者建部遯吾は従兄にあたる。(諸橋轍次の父安平の兄慶三郎の子が建部遯吾)
三男の諸橋晋六は静嘉堂文庫理事長のほか三菱商事社長・会長も務めた。
引用: Wikipedia
漢字はなぜ忘れてしまうのか・・・
その答えは簡単です。字を書かなくなったから。
これはまずいですね、、、今から漢字ドリル買って勉強し直すか!!って程の気力でもないですが。
ちなみに興味のある方はトライしてみてください。
良い方法は新聞の気になった記事を丸写しする方法が一番手っ取り早いですよ。
新聞無いよ~って人はそうだなぁ・・・・
「本でも借りてきて、声に出して読む」
実際これだけでも効果あります。
極めつけは「数学」
誰がこんな問題考えたんですかってくらいわからない問題が多い。
ネットで解答を検索すると、基本的には公式が理解できていれば答えられる問題ばかりなのだ。でも、いざやってみると解答と一致しない。
だけど、僕は併用して現在プログラミングの勉強もしているので問解決能力だけはかなり研ぎ澄まされている感覚がある。
なんで、小学校でプログラミングの授業をやるのか理解できましたよ。
脳は刺激を与えてやらないと、本当に衰えていくばかりなんですよね。
まだまだ自分も未熟だなぁって痛感しました。